PROGRESSの皆様、こんにちわ。
北海道札幌市在住、2020年7月入会。アリスカーナ所属の介護士、ケアマネージャー
の中島俊和です。
いつもPG医療情報部、ならびに僕の配信などに来てくださり、いいねやコメント本当にありがとうございます。
4月より介護タクシー事業を開業し、動いていくわけですが
今回から少しずつ自分がPROGRESSに入るきっかけになったお話や起業に至ったきっかけをお話しできたらなと思っています。
今回は起業編です。
まずは僕の簡単な経緯から
福祉系4大を卒業と同時に介護福祉士国家資格取得→高齢者グループホーム施設介護士勤務(2箇所)→高齢者グループホーム施設管理者 → 2箇所の施設の介護士、ケアマネ →
介護タクシー開業
学生時代の20歳のときに結婚したにもかかわらず、お恥ずかしながら24歳のときにバツイチになってしまい、その後、あっちの奥さんから、いろんなお金にまつわる借金も背負ったりしてしまいました。
とにかくお金を稼いで、今の状況から脱け出そう!
最初に僕がモチベーションを上げてやり始めたのは介護系の資格取得。
社会福祉士、ケアマネジャーなど何度も挑戦しましたが、
結局、合格したのは、ケアマネジャー資格のみ。
(社会福祉士は大学時代含めて5回落ち、その後似たような範囲のケアマネ試験は2回目でやっと合格しました。
結局、地頭が弱かった自分にとって、違う分野の転職する勇気もなく、今のお仕事での給与も大きくUPすることなくでしたので、
その分、時間を労働に変えることでしか、お金を増やすことが出来なかったです。
どうやら体力だけはあったみたいで、ダブルワーク、トリプルワーク当たり前で働きに働いて、お盆休みも正月休みもGWもない中、貯めたお金は借金返済とストレス解消という名のくだらない暇潰しのためにお金を使っていました。
そんな感じで、時間は経っていき、いままであった借金もなんとか返済し、副業続けつ、つこのまま30代も40代も過ごしていこうかな?とか思っていましたが、
事件が起きました。
当時、僕が副業で働いていた職場の責任者が服務規程違反で解雇。その営業所も閉鎖になったのです。当然バイトで入っていた自分自身も解雇されました。
そこでに気付かされたこと。
今ある職、仕事は永遠ではないし、貯めたお金はそのままでは何も生まない。自分の欲求を満たすだけのお金の使い方でも限度があるし、1人ではただ虚しさが残るだけ。
目的のないお金を持つことは、本当にくだらない。
そう思えた瞬間でもありました。
(今思うと、お金を増やす投資を勉強するという選択もあったかもしれませんが、当時の僕にはそんな知識も度胸もありませんでしたし、自分自身に情熱がないとダメでしたね)
思春期の頃の当時の僕から、ふつふつと考えていたことでしたが、
自分の存在意義はなんだと感じていたか?
中学生、高校生の頃の自分は全くわかりませんでした。
ただ、当時学校に馴染めず、学校の中で一人孤立を繰り返していた自分にとって、 「人のお役に立つ仕事」に就くことが何となく自分にとっての生きている意味のように思えていました。
そこから高校の進路の先生から提案されたのは、当時はまだ珍しい福祉系の4年生大学。
大学で介護福祉士を合格取得したあと、
大学卒業後は高齢者施設に就職して人と関わることで、ご利用者様と喜びをわかちあったり、心に寄り添えることの喜びを人並みに感じていました。
(もちろんその間、借金を背負ったり心の余裕はあったりなかったりではありましたが。)
そんな中、状況が大きく変わることが。
僕が社会人9年目に入った頃、父が今までの不摂生といままで起こした何度かの脳梗塞で、左足に軽い麻痺が起こり始め、次第に歩行が不自由になり、遠出もできなくなってしまい父の介護が必要になっていったのです。
その後、末期ガンだった母が亡くなったタイミングで、一人暮らしをしていた僕の家は引き払い、実家に戻り父の介護を中心とした生活にシフト。
家での父は判断能力も落ちていたので、自分でしていた車の運転などは取り止めてもらい、家に引きこもりがちな父への気分転換の時間は僕が運転し、北海道内の観光施設やスポーツなどの競技場など沢山のところにいき、父との時間を共有していきました。
その間もお仕事ではケアマネージャーや介護士として働き続け、ステップアップしていきましたが、
改めて自分の存在意義、本当のやりたいことはなんだったのか?を考えたとき、
中学、高校と引きこもりがちだった僕の思春期の頃から、父が僕を外に連れ出してくれ、沢山の景色を見せてくれた事。その恩返しを今度は僕がしていき、父の笑顔や喜びを一緒に共有することが自分のやりたいことだと思ったのです。
そして父の外出サポートの知識を学び、生かしていくとともに、お年寄り、障がいを持った方のため、本気で外出支援を勉強しよう!
決心に変わった瞬間
そこから貯めたお金は外出支援資格勉強のために投資にまわしたり、それを自分で事業としてやっていくと決心して、副業は自分の未来のために経験となることのバイトにシフトしていきました。(札幌市が管理している障がい者介助アシスタントサービスや2種免許を活かしてハイエース、ミニバンなどの運転代行サービスなど)
その他にも、スポーツ好きだった父をオリンピック・パラリンピック地方会場に連れて行く夢を持って、プロジェクトに参加したりとそれを自分の目標にもしていましたが、残念ながら2020年2月に父は亡くなり、夢半ばで断念。
その無念を、
次は開業して、父のように介護や障がいなどで、なかなか行くことができない外の景色を僕がお手伝いしてお見せしていこう。
父が体調不良で入院し、医師より長くないと診断されたとき、
自分で決心した瞬間でした。
現在の状況
ありがたいことに、今まで自分が貯めていた準備資金のみで、介護タクシー開業まで持っていくことができました。公庫など借りることなく2021年4月1日よりスタートする形となります。
その間、PG医療情報部として、僕自身からお役立ち情報を発信したり、PROGRESSでたくさんの方が既に起業してお仕事として第一線で活躍されたり、これから起業しようとする方がいたりとたくさん刺激をいただきました。
PROGRESSのいつでも誰でも優しくあたたかい環境と、皆様とのご縁、繋がりに本当に感謝しております。
あっちゃんの授業で話していた「幸福とは」
あっちゃんの授業「嫌われる勇気」アドラー心理学では、
すべての悩みは人間関係にある。人間の最終的なゴールは共同体感覚を持つ。つまり幸福とは仲間に貢献できている感覚なんだそうです。
PROGRESSに入る前までは、僕がここにいる意味・意義を探すかのように毎日を過ごしていましたが、いま沢山の意義をPROGRESSの中で感じています。
この先も誰かの応援や、裏方としてPROGRESSで貢献していくとともに、自分自身の幸せを追及していくことも進めていきたいなと思います。介護タクシー事業はその第一歩目です。
長文でしたが、ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
僕の開業への道の話は、PROGRESS内で需要があるかわかりませんが、今後も配信やコラムなどを通して報告していきたいなと思っております。
次回はPROGRESS入会編です。なぜPROGRESSに入ったか?
発信者として注目されたいラグナリオなのに、入ってすぐなぜ裏方として動いたのか?など書いていきます。
当時からラグには、とにかく輝くスターが多かった笑