わたしは中田敦彦の前髪が好きだ。
特に、乱れた前髪が好きだ。
正確に記すなら、
「失敬。つい、心を乱してしまったようだ」
と、いわんばかりのわずかな乱れと、それをさりげなく直す、知的な指さばきまでもが1セットで大好物だ。
あっちゃんが「前髪しかみていないのではないか」と話しているのを聞いて、いつか1STOP覚悟で書かねばなるまいと思っていた。
補欠選手のように、じっくりとベンチを温めながら。
その日は突然やってきた。
驚くことに、それはなんと今日だった。
わたしは、いま、とんでもないおはしゃぎ期に突入している。ここ数日のオリラジ動画のせいだ。
まさに盆と正月とクリスマスとバレンタインが一緒くたにやってきての、べろんべろん状態。
そして、「そうだ、京都に行こう」ならぬ、「そうだ、前髪コラム書こう」と、ベンチから立ち上がったわけなのです。
まずこれだけは言いたい。
われわれ前髪勢にとって、中田敦彦は森羅万象であると。
頭脳明晰、語彙力、美学、審美眼、領域感覚、優れた体幹、革新的、みなぎる英気、冷静と情熱、そのあいだの情緒、多彩な快技。
空高く雲を突き抜ける才能は極限まで磨かれて輝き、深海まで潜ったそのくぼみはレリーフのようで、思慮深さや人間的魅力も感じさせる。
あっちゃんの企画力や分析力、実行力に尊敬の念を覚える。佇まいに「きゃっきゃ」し、不器用な優しさには“きゅん(×100)”もする。前進も葛藤も美しく、その生き様には胸を打たれる。
それらすべてを含めて、わたしにとって推しは、道長の“欠けるもののない月”だ。
ここまで語ればおわかりだろう、わずかに乱れた前髪がどういうものか。どれほど味わい深いものなのか。
その昔。
綺麗に掃除を終えた庭に、利休は少しだけ葉を散らしたという。
「秋の庭には落ち葉がある方がよい」と。
そう。中田敦彦の乱れた前髪は、情熱の庭の落ち葉なのだ。