失敗が怖いの正体

執筆者 | 21/04/07 (水) | コラム

 

初めてコラムを書いてみようかと思います。らちです。

6歳の息子を持つ主婦である傍ら、外では美術史解説をする人として活動しています。

progressでは「何者にでもなれる」の言葉の如く、ドラマ監督やアカペラ、声優等、初めて挑戦したことも沢山ありました。

現在は表立って活動することも無くなりましたが、ゆっくりとprogress生活を楽しんでいます。

 

 

子供に「失敗」しろと伝える

最近のイベントとしては、1人息子が無事小学生に進学するということで、育て方や伝えた方を改めて考える機会がありました。

そんな子供との対話の中で、自分が「失敗していいから、1個ずつ覚えればいいよ」と言う事を頻繁に使っていることに気付かされます。

例えばつい最近だと、大きな温泉に連れて行った時、歩け歩けと言えども興奮して小走りしてる息子。ついに転んで頭を固い床にぶつけてしまいました。

泣きながら「何でもっとちゃんと走ったら危ないって言ってくれなかったの?」と訴えるわけです。いやずっと言ってたわ、言われた時にそこまで重要視してなかったのはどっちや、と心の中で思いつつぐっと堪えます。

そして「失敗して一個ずつ覚えればいいよ」と伝えるわけです。

ちゃんと自分で失敗しないと、他人から何を言われても腑に落ちないわけで。それどころか他人から抑制されてるだけになり自発性を失わせてしまう。

自由に動いた結果、自分で失敗して自分ルールを作って貰いたい。

なので先生の言うことは別に絶対聞かなくてもいいとも言っています。これは担任の先生には悪いけど、「こうしなさい」と指示された時、理由がわからなかったら「なんで?」と聞いて、それでも納得出来なかったら聞かなくていいとも言っている。

とにかく自分で考えて、失敗して、軌道修正して欲しいと言うやつです。

本当にやばかったら私が先生に謝ります(ごめんねせんせー)

 

 

自分に「失敗」しろと言える?

さて長々と前置きが続いてしまいましたが、本題に入りましょう。

子育てしてると、あれ?これ自分への戒めなのではないかと思うことが時々あります。

我が振り直せで、失敗することについて改めて考えてみました。

私は、恐らく人一倍、失敗が怖いです。

出来るだけ失敗はしたくない。

そのせいでやりたいと思った事を抑制してしまうことって沢山あったかもしれません。

挑戦は好きです。

何か新しい事をしたり、自分が出来ることが増えることは好きです。昨日とは別の何かになれた気がして楽しい。だからprogressでも今までやった事のないことに沢山挑戦させてもらいました。

外でも、まあそんなに器用な人間ではないので大きなことは出来なかったかもしれませんが、

2018年にデザイナーとしてフリーになり

2019年に美術史解説のラジオ配信を始め

2020年に解説で仕事を貰えるようになり

2021年は既に幅を広げられそうです

少しずつですが、何でもなかった自分が、正直2年前とは考えられない程に美術史にも詳しくなりました。

しかしその歩みの中でも、小さな失敗を沢山してきたわけです。

 

 

「失敗」のHP消費がエグい

最初に批判が大きかったのはラジオで利休の話をした時の回。

とにかく日本史が苦手なのと漢字が苦手なので間違いが沢山あった回です。ええ、まあ、そりゃ、もう、はい。もう封建制をフウケン制と読みません。誓いますアーメン

翌週配信した回で訂正をしましたが、まあ、だいぶ叩かれました。YouTubeのように表立って炎上とかはなかったのですが、メールやらLINEグループやらPodcastレビューやらでございました。

まあ、めちゃくちゃ凹みました。その時のHP消費がエグいのなんの。当時はこの世の終わりみたいな気分で何も手につかなかったです。

フウケン制言った自分の喉元なんぞ一生呪ってやろうかと思った。

あと、スフマート技法(美術のテクニックの1つ)てのがあるんですが、いっつも「フスマート技法って言い間違えます。ええ、すいません。脳内で「襖と技法」になってます。

そういった、一つ一つは小さな失敗で、別に大したことでもないかもしれませんが、私としては凄く大きな失敗で、批判メール1通で物凄くHPが削られます。

 

 

失敗が怖いの正体は?

あくまで私の感想ですが、失敗が怖いのってこのダメージのデカさを恐れているわけで、失敗した内容ではないかもと思っているんです。

具体的に誰かに迷惑をかけたとか、傷つけた侵害したとかは本当は関係なくて。

自分が失敗をどう捉えていたのか。

私の場合、「失敗」という大きなカテゴリーがあって、毎回その大カテゴリーが押し寄せてくるって感覚でした。

「フウケン制と言い間違えた」と「交通事故で誰かを怪我させた」みたいな失敗が同じカテゴリーに入っていた感覚。

不思議ね。子供に教えてる時にはちゃんと小カテゴリーに分けられてるのに、いざ自分のこととなると一括りになっている。

 

 

失敗を小分けにする

最近は失敗を小分けにすることを頑張っている、つもりです。まだまだダメージでかいですが、以前の自分と比べると、ね。

・他人に致命傷を負わせてるか

・他人を傷つけてるか

・迷惑をかけたのか

・信用の回復が困難か

・修正可能か

・謝罪はできるか

とはいえこれを書いてる今今も、他人のラジオでミスや言い間違えをしているのが発覚していて、お相手に修正をさせているという現状です。

ううう、。

こうして私もずっと、人に迷惑をかけながら失敗しまくって今があるわけです。

 

 

不完全な自分を受け入れる

人に言われた事ですが、自分は完璧になりたがる所があるのだそうです。

大学のカウンセラーさんに「ああ、完璧主義者なのね」と。

自分では自覚がなく(というか完璧と思える程、自分を立派だと思ってなかったので)驚いたことを覚えています。

ある種クリエイターの性かもしれなく、良い方に転ぶこともありました。が、時に自分を苦しめている部分ではあるなと。特に私は多方面で何でもやりたがるのでキリがありません。出来ないことにいつまでも悩んでる。

この完璧ではないと自覚しつつも完璧になりたがる矛盾が、失敗に直面した時にダメージを増幅させている。

失敗するものだと理解していても、願望がそこではないのであって。

これはもう、俯瞰して、理解するしかない。別のマインドに置き換えるのも良いのですが、この完璧になりたい願望は私の中で無くしたくはない思いなので。上手に付き合っていきたい。

 

 

失敗は怖い、は消えない

ということで、失敗のダメージは私の中で消えるものではないので、上手に消費を減らして体力温存に努めたいと思います。

本当はこんな呑気にコラムを書いてる場合ではなく、明日朝6時公開予定の「そんない美術の時間」の最新回、収録せねばいかんのです。

あらまあ、先延ばし。いかんですね。

まださっき言ってたミスを引きずったままで、なかなか収録できていません。早く録って早く寝ましょう。

明日の回も、最高のラジオにしましょう。

失敗は、、してるかもしれないけど、未来の私はちゃんと乗り越えて改善できるから大丈夫。


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