・前置き
初めましての方も、おなじみの方も、こんにちは。フラーシアクラスに所属している古田馨梨(ふるたかおり)と申します。かおりんって呼んでくれると嬉しいです。
先日のアパレルブランド名候補発表のホームルームに際して、あっちゃんが私(古田)のことを認識してくれていたことをとても嬉しく思いました。
あっちゃんが言ってくれた、やさしいイメージ、ニコニコしているイメージ、そのイメージを維持しながらおだやかに楽しく生きていきたい私が考えている、おだやかさについての私の話をしようと思います。
・おだやかさの追求
感覚か感情か、または言葉の定義が、人と話していて噛み合わないことが多いなと思いながら、生活してきた。
関わる年月が短い友人知人と会話すると、変わっているね、と言われることが多い傾向にある。変わっているねと言われすぎた疎外感から、別の生き物に囲まれて生きている感じがしてくることもたまにあった。
この違和感を直視して解消しようとして、ちょっとした、時には大きな衝突が発生することもあった。一方で違和感をスルーしている間は、おだやかに過ごせた。違和感の嵐は心の中に留まっているうちは、コントロールできないくらいに大きくなりすぎることはない。
・変わっているね?
私は私の周囲から、変わっているねと言われやすい言動をすることが多いようだったが、私だけの全く新しい思想を持っているわけでは無い。感覚か感情か、または言葉の定義のどれかが話し相手と違うから、変わっているねと言われただけで、両者の立場に大きな違いは無いはずだ。
例えば「きのこの山」と「たけのこの里」のうち、自分が「たけのこの里」の方を好きな場合、そうでない人を変わっているねと表現することが可能だ。しかし「きのこの山」を好きな人が極度にマイノリティかというと、そうでは無い。その程度の変わっているね、もあるだろう。
・普通の定義
噛み合わない違和感や、変わっているねと言われてしまう疎外感に対して、おだやかさを手に入れるため、私は普通の定義を拡大することで対応した。具体的には、私は私の周囲の1割程度以上が共感するんじゃないかと考えられることに対して、普通、とかみんな、という言葉を使うことにした。
(補足)
そもそも、変わっているね、と言われることも、普通の日常会話だ。変わっているね、を褒め言葉として使っている人も多い。むしろ、変わっているねと言われたそうな雰囲気を私から誤って感じ取った人が、変わっているねと褒めてくれた可能性が高い。
今となっては変わっているねと言われやすい自分に慣れて、変わっているねと言われると逆に嬉しい気もしている。
・寛容さが鉄則
私の定義の中では、私の周囲の1割程度が共感できることは、普通のことだ。大抵のことが普通のことだから、おだやかに受け入れられる。
どんなことが起きたって丸ごと受け止められる寛容さを持ちたい。それが、おだやかに過ごす鉄則のように思う。
ずっとおだやかに過ごしていたい。みんな普通のことを話していて、だいたい普通の出来事が起きる。普通の出来事だから、落ち込み過ぎることはないし、いつも楽しい。
PROGRESSではたくさんの普通に気付いて、別の普通を知ることで知識が広がっていく。楽しい空間だと思う。
もしもおだやかさに飽きたら、いつでも普通の定義を縮小して、特別なことをしてみれば良い。特別な出来事もまた、毎日を楽しくしてくれる。
・あとがき
ニコニコしておだやかに生きていくことについての、私の考えを書いてみました。ああ、長々と普通のことを書いてしまった…
これを書いたのは、おだやかな日常から一歩踏み込んで、自分に似た価値観の一部を持っている人を見つけてみたくなったからかもしれません。
自分の周りの人の1割しか共感できないことだったとして、それを10個挙げたとき、全てに共感できない相手は3人に1人しか居ない!
PROGRESSの中で、皆さまと私の類似点も相違点もいろいろと見つかるかと思いますが、楽しく交流できますように。
(こんなことを書いていますが、刺激的な熱狂もまた、大好きです!)