世界はかくも美しい〜智の連環〜その1

執筆者 | 21/05/04 (火) | コラム

 こんにちは。

 今回もprogressは一切関係のないお話です。(こういう内容をいつまでもお話できるお友達が欲しいです。)

 智の連環、とは何ともお堅いタイトルですが、要するに、それなりに知識あればあらゆる物事はつながっていることが分かり世界がより一層美しく見えるよ、というお話です。

 今日は、タイトルにあるように『貞観政要』と『九成宮醴泉銘』について書きます。一方は政治問答集、他方は書道のお手本。政治と芸術という全く別のジャンルの書籍のようですが、実は内容を見比べると、とても面白い共通点があるのです。双方の書物に関する知識を連環して楽しみましょう! 

 下記内容に誤謬がある場合には、ご指摘いただけますと幸いです。

帝王学の教科書

『貞観政要』という書物をご存知の方はいらっしゃますでしょうか?近年、マスメディアなどで取り上げられることもあったので、何となく名前を耳にしたことのある方も多いかも知れません。『貞観政要』とは、中国・唐代の皇帝太宗李世民と名臣たちとの政治問答集です。唐代の歴史家である呉兢がまとめました。日本でも長く帝王学の教科書として親しまれ、リーダーたる者必ず読まなければならない本として位置付けられています。

 中国史上、千人いると言われる皇帝の中でも最も優れた皇帝であったとされるのが、李世民です。彼は、父を廃し兄弟を除外して皇帝に上り詰めました。いわゆる玄武門の変というやつです。言ってしまえば、兄弟を殺して皇帝になったのだから、人民から信頼されることは並大抵の統治では叶わなかったはずです。なぜ兄弟殺しまでした男が最も優れた皇帝として崇められているのか。その理由が書かれているのが、この『貞観政要』です。

 ざっくりとした内容をご紹介しますと、李世民は部下(名臣たち)の意見に耳をよく傾けて都度自戒していたからこそ立派な皇帝だった、という側面が記されています。もちろんそれだけが理由で素晴らしい人物とされているのではありませんが、この「部下の意見を聴く」ことこそ、重要なファクターであることは間違いありません。

書のお手本

 では、『九成宮醴泉銘』とは、一体どういう書物なのか。

 唐代の書家、欧陽詢が記したことで有名な書です。記したと言っても、残されているのは碑文ですので書そのものが残っているわけではありませんが、それでも美しさは隠しきれません。

 欧陽詢は、唐代を代表する書家と称される事も多いですが、書聖王羲之や顔真卿と並び称されるほどの人物です。冷静に考えれば、字がうまいというだけで1000年以上も後の世の外国人に名前を知られているという事自体、気が遠くなるようなお話なのですが、そんな彼の書の中でも『九成宮醴泉銘』は別格です。その美しさたるや内容や読み方が分からなくても姿だけで美しいと、時を経てもなお万国に伝わるものです。中学や高校の書道の時間に楷書のお手本として学んだという方も多いのではないでしょうか。私たちが現在使っている楷書の基礎を作ったのが欧陽詢です。

 そんなわけで、『九成宮醴泉銘』は常に書(楷書)の手本として知られています。

 さて、『貞観政要』と『九成宮醴泉銘』。二つの共通点は何でしょうか?

『西遊記』の男

 『貞観政要』について、李世民は部下の話をよく聞いた、と記しました。ここでいう「部下」の中に、魏徴という男がいます。彼は、癇癪を起こす李世民を200回余りも諫めたと言われ、『貞観政要』中の登場回数が最も多い名臣の一人です。人物像を簡単に記すのならば、口が悪いと言えばいいのか、真っ正直と言えばいいのか。皇帝に対しても歯に衣着せぬ物言いだったようです。ただ、その活躍と進言の確かさ、機智は後世の人々にも高く評価され、明代に成立した『西遊記』においてはこの世とあの世を行き来し李世民の寿命を伸ばした、という説話が設けられるほどです。日本人で例えると、菅原道真や小野篁のような感じでしょうか。とにかく、政治家としてとても優れた人物だったという事です。

ところで『九成宮醴泉銘』の内容は?

 文字が美しすぎて内容が頭に入ってきませんが、実は『九成宮醴泉銘』は中身もとても充実しているのです。だって、文章を書いたのは欧陽詢だけれど、内容を考えたのは魏徴なんだもの。

 そう、二つの書物の共通点は名臣魏徴による進言が記されている、ということです。

 一般的に、『九成宮醴泉銘』の概要を説明するときは、太宗が隋の仁寿宮を修復して、九成宮と名を改めた翌年の夏、暑さを避けてその地を訪れたら宮殿の傍らに醴泉、つまり甘味のある水の泉がわき出たのでそれを記念して石碑が建てられた、となることが多いです。

 確かに、文章の大半は水が湧き出たことを賛美するものです。水源の無かった宮にとって甘味な水は貴重ですから、いかに魏徴が歯に衣着せぬ物言いの人だとしても、賛美すること自体おかしくはありません。ただ、魏徴は『九成宮醴泉銘』中に以下のような文章入れています。

「人はその花を玩(もてあそ)ぶも、我はその実を取る。淳(まこと)に還り、本(もと)反(かえ)り、文に代うるに質をもってす。髙きに居りては墜ちんことを思い、満を持しては溢れんことを戒むる。茲(これ)を思いて茲(ここ)に在れば、永く貞吉を保たん。」

 特に言いたかったのは、後半部分ではないでしょうか。高いところに居るのなら転落することを思い、十分に足りているならなら溢れることを戒める。適切な日本語訳ではないかもしれませんが、ものすごく雑な言い方をするならば、天下に上り詰めた時こそ気を引き締めよ、という事ではないでしょうか。

 九成宮は、隋の宮殿の跡地に別荘として設けられましたが、隋時代の設営については、鬼火(火の玉)が出たなどの不吉な背景があります。また、隋は建国からたった二代で滅んだ国です。いくら水源が確保できたからと言え、喜んでばかりいては足元をすくわれる。天下泰平と思っていても常に気を緩めてはいけない。魏徴は釘を刺したのだと思います。

 太宗の子、高宗(李治)の時代になって九成宮で鉄砲水が起き死者3000人を出したのも、暗示的な出来事な気がしてしまいします。

最後に

 ここまでお付き合いいただいた方々、誠にありがとうございました。

 内容が馴染みのないものだった場合には、とっつきにくさを感じたかも知れませんが、サムネに写っている書物はとても読みやすく編纂されているのでおすすめです。帝王学や芸術に興味のある方は、ぜひお手にとって見て下さい。

執筆者 | 21/05/04 (火) | コラム


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