内藤牧子です
いつも楽しくコラムを読んでいます
今日は前回の 言葉の持つ力
の続編?まではいかないのですが
ある「言葉」について、さらには
その言葉を使っての
「話し方」について
私が最近感じたことを書いていきたいと思います。
話し方を学ぶために
私は現在 小学校と塾講師の仕事をしており
小学生から高校生まで 様々な年代の子どもたちと
日常的に話をしています
そして現実 それはとても楽しいけれど
同時に とても難しいことであると認識しています。
私は 書くほうが思考がまとまるタイプなので
何かを急にわかりやすく言葉に表せといわれるとなかなか厳しいのです。
いったん紙とペンをください、と思ってしまう。
頭から口がつながりにくいのです。
いったん手を通して表記したいのです。
(先日、初めてTV配信をしてみたのですが
まぁアドリブのきかなさたるや・・・
それでも、あたたかく私のプログレスを見てくださる方がいらっしゃったので
今後も練習していきたいと思います)
えっ、それで講師大丈夫?と
思われると思いますが
教科の教授については さすがに
この流れで話すと受け入れてもらえやすいというパターンがあるので
その道筋を覚えているから
さぼど困りません
たとえば 今の時期なら 新一年生は時計が読めない子もいるので (時計の授業は一年生の後期にでてきます)
あの長い針が4になったらおやすみしようね、など
こういうときはこう、という定型文ができているのです
そういうことで 仕事では困ることはそうないのですが
急に生徒からの質問や雑談になったタイミングで脱線すると
どこが着地点なのか
なんのためにそれを話したのか
何を言いたかったのか 思考があちこちにとんで
まとまらなくなることがまま、あります。
なんとか、話すスキルを上げたいな・・・
そう思うようになっていました。
思えばプログレスに入会した理由の一つは
「あっちゃんのように話ができるようになりたい」からというのもありました。
なんともおこがましいのですが、学ぶとは真似ぶこと。
あっちゃんの話し方が好きで説得力があるから
それを真似たくて
平日の私は あっちゃんのホームルーム の時間には
自分も学校なので
なかなかリアタイできないのですが
帰宅したら まず タイム&トピックを見るようにしています。
どのような内容を話しているのかを
事前に把握した上で
倍速などにはせず はじめから1時間再生する。
すると あっちゃんの話の内容だけではなく
組み立て方にも注意して聞けるのです
これが すごく勉強になっていて
平日は 組み立て方を学んで
土日は なるべくZoomに入って
予習なしで話を聞ける。
次はどんな話題だろうと
リアタイの時は本当に
ただただワクワクしながら楽しませていただいています。
そのなかで 私がとても好きなのは・・・
あっちゃんの
「とはいえ」の使い方 なんです
「とはいえ」を考える
毎日ホームルームをご覧の皆様は
「そこ!」と同意してくださるかたもいらっしゃるかもしれませんね
あっちゃんは 接続詞として「とはいえ」を結構な頻度で使われています。
接続助詞ではなく 接続詞。
ここがおもしろいと思うのです。
接続助詞とは
「彼が失敗したとはいえ、そこまで責めるのはかわいそうだ」
のように
一文中に使うことですが
こういうパターンは私もよく使いますし、
また、よく聞きます。
しかしあっちゃんの場合は
しっかり文頭に接続詞として
「とはいえ」
を使われています。
品詞で分ければ
「でも」「しかし」と並ぶ逆説の接続詞の
「とはいえ」です。
しかしながら、「とはいえ」は
同じ逆説でも伝わり方の温度がちがうと思うのです。
日本語って本当に
この微妙な意味と印象の差が大きい言語ですね。
なぜなのでしょう。
ここで一度 「とはいえ」の構造について考えます。
「とはいえ」は、一回しっかりと前の文で その対象の事柄もしくは人物に寄り添って
そして、それはまた一つの意見や現実として存在することは認めながらも
とはいえ、のあとに
自分の考えを伝えるときに使います。
だから「でも」「しかし」という
単純な逆説よりも
すこし丁寧で マイルドな感じがします。
あっちゃんは やはり
気遣いの方なのでしょう
先日の プールの顛末については 失礼ながら
笑ってしまいましたが
平常な精神状態なときには
どんなことであれ
いったんは「寄り添って」考えてくれるからこそ
この「とはいえ」が頻出するのではないでしょうか。
とはいえマスターになるために
ここまでのことを考えると
たとえばAとB、
どちらかを選んでいて 仮に自分がAだとして
相手がBを選んでいたとして
いきなりAを否定されるより、Aの良い部分や特性も
しっかり述べたうえで
こういうこともあるけれども、ぼくは
Aのこういうこころは危ないからBがよいのではないか
そう言われれば、なるほどそうね、と
意固地にAを保守することなく
考えかたを柔軟にすることができると ように思います。
それは いったん寄り添ってもらったということで
思考の一部がある種の満足をしているからかもしれません。
これは研究したことがないので
私の憶測の域をでないのですが
もしかしたら それは 遠い昔に学んだことのある
「返報性の原理」なのかもしれない、と思いつきました
なにやら偉そうな難しいキーワードを出すな内藤、と思われそうですが難しくないので安心してください
返報性の原理とは
人から何かしらの施しをうけたとき
「お返しをしなければ申し訳ない」というような
気持ちになる心理作用のこと
寄り添ってもらったことで、それを頭から否定せずに話を進めてくれたことに対する
なにかしらのお返し
もちろん絶対ではないがのですが
話し方としても
「とはいえ」は
相手を慮る気持ちのエッセンスが入っているように思うので
配慮を受けた聞き手が
話し手の主張を飲みやすくなるのはあるかもしれません。
そして あっちゃんは
天才的にその「とはいえ」の使い方が劇的にうまい
「とはいえマスター」なのでしょう
Aを肯定したあと
絶妙な間をいれて「とはいえ」として
Bを推す意見をまとめます。
その「間」と
AとBの分析が
的確で 随所でクスッと笑えることもはさんで
あっちゃんの「とはいえ」をさらにマイルドにします
こういうことがさらっとできるのが、プロなのですね・・・。
私は「とはいえ」を使いこなせないので
聴くたびに おおっ!となります。
そういえば よく考えると
日常会話で「とはいえ」を使う人は
私の周りには あまりいません
目上の先生方も
同僚も。そういえばあまり聞かない単語です。
だからこそ あっちゃんの話し方で
注目したのだと思います。
では なぜ使いこなす方が少ないのでしょう。
「とはいえ」について ここでもう一度考えると
「そうはいっても」「とはいいつつ」などと
「寄り添い型」の逆説で それと同義のものは
あるにはあります。
しかし、「そうはいっても」「とはいいつつ」は
すこし砕けた印象の文に感じます。
文字化してみると、さらにです。
話し言葉に近い口語の印象。
それらと比較すると「とはいえ」はなんとなく説明的文章にでてくるような
少し硬くフォーマルのイメージです
あくまで私の主観ですが。
あっちゃんのようなインテリジェンスさが あるから
あれを使いこなすのだろうと思います
硬くなりがちな「とはいえ」を
あんなに角をとって言えるって ・・・
あとこれは私の好みになってしまいますが
あっちゃんの発音がときどき
ん?という
どこの地方なのだろう
東北出身の私が思う標準語とは違うイントネーションで語るときが
たまらなく味があって好きなのですが
100%の標準語より
温かみが感じられる気がして
あっちゃんの「とはいえ」も
たまに
と↑は↑い↑え↑
(どう表記したらいいんだw)
と、全部上がる発音になるときがあって
おお!と思うのです
そこがまた「とはいえ」を
和らげてくれているようで
私はと↑は↓い→え→
なのだけれど
(私が東北なまりなのかもしれないので
このあたりは 「私が思う標準語」
として書いているので
もし違っていたらすみません)
なんにせよ
あっちゃんの話し方のうちの
「とはいえ」だけで
一時間は 考えこめる
ゆっくりとしたステイホームのゴールデンウィークも
そろそろ終わり
YouTube大学の「話し方が9割」を
あらためて見て
そして「雑談力」も鍛えたうえで
「育ちがいい人だけが知っていること」の話し方も
さらに見直そう
そういえば「お差支えなければ」を一時期意識して使っていたのに
気が抜けると忘れてしまうな ・・・
ついつい熱くなり 長くなってしまいましたが
今日もお読みいただき ありがとうございました 。
お差支えなければ 次回もよろしくお願いいたします。