どうも、引きこもりコラムニストの最内翔です。
こちらでは朝のHRでの話題について、引きこもり視点で語っていくコラムです。
今日の話題は
・いつまでも主人公ではいられない。
・パーフェクトヒューマンな上で侮られるステージへ
・「雨ニモ負ケズ」は法人化すべきだし、仕組化してマネタイズするべき!?
ざっくりとこんな感じでした。
ここからはHRを聞いた上での著者の感想になります。
皆さん昨日の私の記事読みました?
いつまでも主人公じゃいられないって前半の話、「ほら、俺が昨日書いた通りじゃん」とか内心ほくそ笑みつつ聞いてました。
その後の物語は作中では殆ど触れられないとか、もう中田さんが昨日の記事を読んでパクったんじゃないかとさえ思いましたね、えぇ!
……まぁ、今日の話は昨日の話をかみ砕いて話してるのだから特に私が新しい発見をしてたわけじゃないし、侮られるという次の話題まで提示した中田さんに勝てるわけがないんですが(
そういうわけで、今日は「少し侮られるくらいの方が警戒されない」って話を書こうと思ったんですが、残念ながらその域に私がまだ達していないので何を書いて良いのか分からなかった(
一応私のペンネーム「最内翔(モナイ ショウ)」、ひっくり返して「しょうもない」というのは、敢えて侮られやすい「しょうもない」というキーワードを名前に入れることで親しみやすく思って貰おうという戦略があります。
弱点がある方が親しみやすいキャラクターになる、というのにも共通してますよね。
ただ、それ以上話が膨らまなそうなので諦めて、今日は適当に自分語りします。
本当に今日の内容は個人的には結構面白くなったと思うのですが、所詮益体もない自分語りでしかないので時間のない方は無視して貰ってもOKです。
なりたい自分像
皆さんは「なりたい自分像」みたいなのってありますか?
こんな性格の人に、こんなことが出来る人に、あの人のように。
私は多分そこそこ早い時期に一度固まってから、一切変わっていません。
ブレていないと言えば聞こえはいいけど、実際は変われず幼いままって感じです。
それは、「ひぐらしのなく頃に”前原圭一”」「伝説の勇者の伝説”ライナ・リュート”」この二人のように、です。
間違いなく、今の私の人格を作り上げた支柱になっています。
おそらくこの二人を知らない人が殆どだと思うので、少し解説していきます。
(※読んだ上でアニメを見ても楽しめるが、この後それなりのネタバレ注意)
前原圭一
概要(鬼隠し)
昭和58年の6月の雛見沢村という田舎の村、そこには5人の小中学生がいました。
前原圭一は物語の数か月前に東京から引っ越してきたばかりの男子中学生です。
彼は園崎魅音(一つ上)、竜宮レナ(同い年)、古手梨花(小学生)、北条沙都子(小学生)といった仲間と共に、様々なゲームで競い合って遊ぶ「部活」に入って楽しい日々を送っていました。
その部活では「狙うのは一位のみで、その為にはイカサマとかもなんでもあり!」という決まりごとがあるのもあり、不慣れな圭一はビリになっては罰ゲームで白鳥のドレスを着させられたりメイド服を着せられたりと弄られまくり、でも時には一矢報いて良い思いをしたりと、持ち前の明るさと親しみやすさで馴染んでいきます。
東京から引っ越して来たばかりで慣れぬ田舎でしたが、彼女たちのおかげですぐに雛見沢にも慣れたある日のこと、不穏な噂を耳にします。
この穏やかな田舎では昔「ダム戦争」といった物騒な抗争が、村総出で行われており、そして丁度今いるダム現場でバラバラ殺人が起きたという噂を。
そしてその年を皮切りに、毎年「綿流し」というお祭りの晩に1人が死に、一人が行方不明になるという「オヤシロ様の祟り」という噂を。
オヤシロ様の祟りを長年追っているという刑事との密談を切っ掛けに、彼は徐々に仲間に対して疑心暗鬼になっていきます。
ついに溜まらず、彼は友人に聞きます。
「この村で昔バラバラ殺人が無かったか?」
「私も去年引っ越して来たばっかりだから知らない、ごめんね」
「俺たちは仲間だろ? 仲間ってのは隠し事なしだよな?
なのになんで隠し事するんだよ。俺はお前が元々この村の出身だって事も知ってる!
隠し事をする奴なんて仲間じゃない!」
「じゃあ圭一くんは隠し事してないのかな。かな?」
「し、してねぇよ」
「嘘だッッ!!」
はい、ひぐらしを知らない人でももしかしたら聞いたこともあるかもしれない名台詞は、こんなシーンなんですね。
彼の隠し事、それは転校の理由。
そう、彼は「モデルガンで中学生の少女を撃ち、目の怪我を負わせ」、逃げるように田舎へ引っ越してきたのです。
彼は他の皆に比べて勉強ができ、一学年上の魅音に勉強を教えたりするくらいだったのですが、実は東京に居る時は特進クラスに入る程の秀才でした。ですが受験勉強のストレスを発散するためにモデルガンで人を狙う様になり、その結果が先述の事件。有名な画家である父に示談金を払って貰い、やり直すために雛見沢へ来たのでした。
勿論彼は十分に後悔と反省をし、やり直そうと思って生きています。
ですが疑心暗鬼から問い詰めた結果、カウンターパンチを貰う形でその過去を知られていると暴露されてしまい、後悔と懺悔と悲しみから蹲ってしまいます。
それ以降彼の疑心暗鬼は加速し、ついに「綿流し」の夜。惨劇を起こしてしまう。
それはそう、「ひぐらしのなく頃に」
笑顔で希望を示し続ける少年
あまりにもあんまりな惨劇の回を越えて次の回を見ると、まるで何にもなかったかのように皆が生きており、時間さえ巻き戻っています。
こんな感じで様々な人物が様々なパターンで惨劇を起こしては巻き戻るを繰り返すのが、「ひぐらしのなく頃に」の前半、第一クールです。
何故そんな事になっているのか、それは一人の少女が100年にも及ぶ運命の袋小路に囚われているからでした。
一番最初の物語、「鬼隠し編」では疑心暗鬼に囚われていた圭一ですが、他の物語ではとても格好いい男の子でした。
ちょっと鈍感だけど、最後まで仲間を信じたいと、信じ切った少年で。
大切な「妹」を、居なくなってしまった本当の兄貴の代わりに守りたいと暴走した少年で。
幸せになるために行動してどうしようもなくなった友人に、仲間を信じて頼ることの大切さを身体を張って思い出させる少年で。
運命の袋小路に囚われて無力感に絶望した少女に、「運命なんて俺があっさり打ち破ってやるぜ!!」と希望を見せた少年で。
そして最後には強力な運命に、仲間と信じあい協力しあうことで打ち勝ってみせる、消えない希望の光として皆に笑顔を見せ続けた少年でした。
文字にすれば陳腐にもなってしまうそんな青臭い姿も、繰り返される惨劇に何度も心を折られかけた視聴者にとっては本当に頼もしく、憧れを抱いてしまう姿でした。
当時ひぐらしのアニメを見たのが思春期真っ盛り、中学2年生の頃だったというのもあり、あまりに深く私の心に刺さりました。
それ以来、私の中で神格化していると臆面もなく言えるくらいには、私の中の中心に残ることになりました。
前原圭一。彼のように明るく、人に勇気を与えられ、どうしようもなく動けなくなった人に「俺を信じろ任せとけ!」と希望を示せ、でもどうしようもないくらい自分の中にも弱さを内包していて、それを受け入れて尚笑顔を見せ続けられる人になりたい。
今でもそんな青臭い幻想を捨てきれずにいます。
ライナ・リュート
最低限の紹介
もう一人の主人公、ライナ。
これは特別中二感というか、アクが強いので人によってはウッてなるかもですが(笑)
彼は暴走して周囲に災いをもたらす魔眼を保持していました。
そのせいで幼い頃から忌み嫌われ、恐れられ、蟲毒のように子供たちに暗殺の技術を仕込む、非人道的な訓練施設に入れられます。
魔方陣を瞬時に解析する魔眼の力と、天才的な魔法センスを以って「ローランド最高の魔術師」と呼ばれるまでの戦闘力を獲得しますが、色々な政治的思惑もあって士官学校に入学し、そこを拠点とし監視されるようになったところから物語が始まります。
彼はずっと化け物と忌み嫌われてきた幼少期のせいで、非常に自己肯定感の低い青年でした。
また相当の実力者でありながら重度の面倒くさがりで、夢は「毎日30時間寝ること」。
そうやってサボろうとする度に周囲の友人にシバかれ、無理矢理仕事を押し付けられるという感じで愛され(?)てます。
そんな有能なサボり魔が、その内心では自分の事を「生きる価値の無い化け物」と強く否定しているというのは先程述べた通りですが、同時に根っこの所では人に優しくお人よしな人物でもあります。
戦争や人体実験が平然と国家主導で行われる世界で、それでも目に映る全ての人を救いたいと「面倒臭ぇ!」なんて言いつつも奮闘する。
でも、どれだけ彼が高い戦闘力と魔法センスを持っていたとしても、悲しいくらいに世界は非情で、無情で。守りたいものが手から零れ落ちる度に怒り、悲しみ、絶望し、それでも諦められず目の前の人を救いたいと足掻き続ける。
そんな主人公です。(大分端折って書いてるのにこの、むせ返らんばかりの厨二臭)
それでも誰かに求められたい
私がこの伝勇伝を読んだのは高校生の時で、しかも色々あって一番鬱屈としていた時だったというのもあり、悶えるほどぶっ刺さりました。
その頃から自分自身、自己肯定感が低くなっていて、それでも誰かに好かれたい、それでも誰かの助けになりたい、それでも誰かに必要されたい。
そんなある種の切実な欲求が彼と重なり、その上で実力を持ち、深い絆を持つ友を持ち、折れずに前に進みつづける姿に、再び強烈な憧れを抱きました。
この二人の主人公に中学高校時代に出会い憧れを抱き、そんな風な人になりたいと歳を重ねて。
実は先程は挙げませんでしたが、もう一つ「ならないと」と思った人物像があります。
それは
理想の普通
青臭い憧れを引き摺ったまま、集中的な受験勉強の甲斐もあり大学へ入学し数年経ったころ、至極当たり前のことに気付きます。
もう数年もしないうちに、自分も「社会人」にならなければならないのだということ。
でもその時の私は自堕落な学生でした。
生活費のためにバイトをし、夜遅いバイトから帰ってから更にゲームをし朝方寝て、昼過ぎに「また授業寝坊したわ」と自己嫌悪になるのを繰り返す。
確かに憧れた二人には弱さもあった。でも今の自分は弱さはあっても強さは無い。
そして最低限、そう「最低限」まともな普通の大人にならないとと考えた。
そのまともな大人というのは
「仕事が出来て、明るく闊達で、責任感があり約束を守り、社交的で、思いやりがあり人に優しく、茶目っ気があり、自分の意思と夢と美学があり、十分に家族を養えるレベルの稼ぎがある大人」
を意味していました。
いやいや、そんなの全部兼ね備えた大人なんて最低限どころか、一握りしかいないよと、そう思われるかもしれません。
私も今はそう思います。
でも、その思い描いた「普通」が、「理想」であるという事に気付いたのはホンの1年前なのです。
揶揄すれば「厨二病的」「夢想家」、よく言えば「純粋」「真面目」、悪く言えば「甘え」「地に足がついてない」
そんな高すぎる理想とかけ離れ過ぎた自分の醜態を認められず、否定し続けた結果更に深く失敗体験が刻み込まれていく。
そうして気が付いた時には30間近で、皆が折り合いをつけて生きている社会のレールから盛大に外れて生きている。
優しさはきっと持てている。でも憧れた諦めない強さを持った自分とは正反対に、動く事すらままならない弱い自分になってしまっている。
一年くらい前、やっと自分が高すぎる「理想の普通」を目指していることに気付き、それ以来自身に「引きこもり」というレッテルを敢えて貼り、「普通」になることを意識して諦めるよう戒めてきました。
「Over the Window」
私にとって、窓の向こうで普通に生きられている人達は、画面の向こうのアニメの登場人物と同じように完璧に見えていたのです。
そうじゃないのだと、少なくとも描いたその理想に到達するには落ちこぼれすぎたのだと「明らめ」て、一年が経とうとしている。
未だに前原圭一とライナ・リュートへの憧れは消えませんが、少しは自分を受容出来るようになってきて、確実に前には進んでいるはずです。
正直、一年経ってまだ自立できないのかと焦る気持ちもあります。
でもやっぱり、理想の自分への憧れは消しきれないのです。
例えなれないとしても、それを目指すのをやめてただ食っていくためだけに生きるようになるくらいなら、死んだ方がマシだと思ってしまうのです。
であるなら、厚顔無恥にも脛を齧り、焦る気持ちを抑え、腰を据えて改善していくしかない。
急にやってきた冬の匂いに季節と時代の流れを感じつつ、思ったより長くなったことにビックリした最内翔でした。
いつか、「生きてて楽しい!」と笑顔で言えるように。
明日もまた、投稿したいと思いますので良かったら是非またお越しください!