茶席の禅語〜紅炉一点雪〜

執筆者 | 22/02/27 (日) | コラム

 こんにちは!キャシーです。

 昨日(2/26)のHRで、茶席にかけられていたお軸の文字が「紅炉一点雪」だったというお話がありましたね。

 そこで、今日はこの禅語についての簡単な解説と所感を書きたいと思います。

紅炉一点雪

 この言葉は、「碧巌集」(へきがんしゅう:中国の仏書。碧厳録とも。)の第69「南泉圓相」(なんせんえんそう)に出てくる、「紅爐上、一点の雪の如し」という句を五文字にまとめたものです。

 HRでのお話にもあったように、燃え盛る正念(しょうねん:正しい思い。邪念なくつねに仏心をもっている状態、ぐらいの意味合い)があれば、湧き上がった雑念を消し飛ばすことができることを例えたものです。なるほど、紅炉(真っ赤に燃えるストーブ)に雪がはらりと落ちたところで音もなくたちまち消し飛んでしまいますから、真の禅者であれば雑念の類はこのようにたちまち消し飛ぶということなのですね。

 例えば、美人を見たら、どこに住んでるんだろう、話かけちゃおうかな、お友達になっちゃおうかな、などと次々と一念がわき起こりますが(!!)、禅者というのは「美人がいるね」、との一念でその後に続きそうな一念を消し飛ばすことができるようなのです。常人の筆者には全くわからない感覚です。

 ただ、驚きなのは『さらに向上した大禅者ともなれば、単に雑念妄想だけではない、悟りくさい仏見・法見をもきれいに蒸発させて一見の跡形をもとどめない』(下記参考文献p.152より引用)、のだとか。

 いやぁ、奥深い!!

茶人と禅者

 茶の湯と禅が切り離せないことはご存知の方も多いと思いますが、茶人が皆禅者かと問われればそんなことはありません。もちろん、「この人悟り開いてんちゃう?」みたいな穏やかな心持ちの方もたくさん知っていますが、一朝一夕に悟れるわけはありませんからね。

 茶席の禅語のお話は聞いているだけでも楽しいですし、どこかで思い出して役に立つことも多々あります。苦境や人生の岐路は誰にも訪れますから、そのときに禅語をふと思い出してたちまち悩みが飛ぶという経験は筆者にもあります。茶の湯の良いところをあげればキリがないですが、禅語は紛れもなく最も良い点のひとつです。

覚えておくということ

 前段で「ふと思い出して」と書きましたが、お茶のお稽古をされている方やこれからお稽古されたい方は、掛け軸やお道具、炉縁の模様やお庭の情景、茶花やお菓子など、できる限り体験したことを覚えて帰っていかれるのが良いかと思います。せっかく主人が趣向をこらしてもてなしてくれているのですから、それらの意味を理解しようとするのは大切です。初めのうちは、わからないことはどんどん質問していいです。「なんというお花ですか?」、「お軸はなんと読むのですか?」などと聞いてもなんの問題もありません。そのうち、いろんなことに気付けるようになるので大丈夫です。前のめりにお稽古しようという姿勢は、きっと主人にも伝わっており喜ばれると思います。

 我らがサロンオーナーも、お軸の禅語などの全く日常的でない光景を覚えていましたが、これはとてもとても喜ばれることだと思います。

まとめ

 茶の湯の全ての試みを理解するのは、一生かけても難しいです。ただ、少しわかっただけでかなり楽しいのも事実です。

 守備範囲の広い茶道ですから、必ず興味関心の湧く部分があります。皆さんの興味ある部分はどこでしょうか?お茶の味?茶器?掛け軸?着物?お庭?建築?お花?漢詩?和歌?

 なんでも揃っているので、ぜひお稽古してみてくださいね!

 ではまた・:*+.(( °ω° ))/.:+

*主要参考文献

・「禅語の茶掛 一行物」芳賀幸四郎 著 淡交社 昭和48年

 

執筆者 | 22/02/27 (日) | コラム


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