贅沢ができない〜私の幼少期の記憶〜

執筆者 | 22/04/11 (月) | コラム

こんにちは〜まゆチャンこと村上真優子です!

去年急に思い出した、幼少期の記憶が印象的で忘れられないのでここで共有したいと思います。
パーソナルすぎて誰の役にも立たないと思いますが、時間潰しと思って読んでくだされば嬉しいです?

 

今の自分にも通じているなと思う部分があり、面白い体験でした。

 

①あらすじ

 私の家は、両親と妹と私の4人家族です。
父が高校教師で、母は介護系の会社員です。

 私が幼い頃から、両親は毎年旅行に連れて行ってくれました。そして、父が体育教師だったこともあり、毎週のように夜ご飯で焼き肉などのがっつりしたものが出されていました。

でも私はそれがあまり好きではありませんでした。

 

私が昨年急に思い出した記憶は、
小学校低学年くらいのとき、家族旅行に出かけて焼肉屋に外食しに行った際、私は悲しくなって泣いていた。
というものです。誰かに嫌なことをされたわけでもなく、勝手に一人でに泣いていました。

 

その当時は、自分が何が悲しくて泣いているのか分からなかったし、良かれと思って旅行に連れてきている両親に申し訳なくてさらに悲しかったです?
煙が目にしみて痛いとか言ってごまかしたと思います。

 

 

②何で泣いていたのか謎が解けた

 

 昨年そのことを思い出したとき、何で泣いていたのか、様々な記憶が蘇って謎が解けました。

その家族旅行に出かける前に家族で、貧しい国の子供たちのドキュメンタリーや難病の子供たちのドキュメンタリー番組を見たことがありました。
そのテレビ番組で私は、自分とは全然違う苦しい環境におかれている同年代の子供たちの存在を知りました。

 

私はその存在を知りながら、自分が裕福な生活をすることに違和感を抱いていました。
そのドキュメンタリーに涙し、その翌日何事もなかったかのように普段の何不自由ない裕福な生活を送ることができませんでした。

当時は、そんな状況を説明する論理的思考も言語能力もなく、ただ泣いていたのかと気づきました。
私が悲しくなったところで、何も貧しい国の子供たちや難病の子供たちの状況が変わるわけではない、そして、親に育てられている自分は今の生活を変えることができないという無力感でさらに悲しかったです。

 

我ながらなんて複雑な子供なんだと思いましたね?
子供なんだから喜んで焼き肉食べてろよ!とつっこみたくなりますが、そうではないのが私です笑

 

 

③今の自分への影響 贅沢ができない

 

 そのことが影響しているのか、今でも贅沢ができないです。贅沢ができないというよりかは、いわゆるお金をたくさん使うような、目に見えるわかりやすい物質的な豊かさで幸せを感じられないです。

例えば、ディズニーランドに行ったとしてもそんなに幸せを感じられないです。
ディズニーランドは目に見えてハッピーが溢れているので、個人的には居心地が悪いです?人工的なコマーシャライズされた幸せに違和感があります。
いわゆる観光地にいくような旅行も同様な違和感があって、楽しめないです。

 

 

だいたいの周りの人と感覚が違うので、結構気まずいことが多いです?
ただ、私は幸せを感じるのにお金がかからないのでリーズナブルです!笑

 

 

まとめ

 

 去年、幼少期の記憶を急に思い出して、幼少期の自分の思考の謎が解けたという不思議な体験をしました。
すごく面白い体験でした。
今の自分の思考にも通じる部分があるなと思っていて、まだまだ考えたいことがあるのでこれからも検討していきたいなと思っています!

ここまで読んでくださった方!
本当に読んでくれてありがとうございます☺️

about me↓↓
2021年11月入会/21組/北海道出身/新卒1年目SE/Podcast,Voicy,ラジオ好き/菜食?/オーガニック?/PGあんこトーーク!部/PG北海道組/X.Y世代の話を聞きたいZ世代

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執筆者 | 22/04/11 (月) | コラム


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