風に消えた恋

執筆者 | 22/10/02 (日) | コラム

〜ねえ知ってる?猫ってね…

私の奉公先の桔梗屋は京の町でも指折りの呉服屋なんです。

旦那様はお客様からの信頼も厚く、奉公人にも職人にも慕われております。

奥様もとてもお優しい方ですし、

詠人様と綾様、お二人ともそれはそれは美しいご兄妹で。妹の綾様は活発で気持ちもお優しい方なので心惹かれる殿方は数知れず。

えっ?兄の方は?ですか…

お兄様の詠人様は桔梗屋の跡取りですし、粋な旦那衆を見慣れているお茶屋のお姉さん方でも振り返るほどのお姿ですから、縁談話はそりゃもういくらでも。

ただ…少々問題がありまして…

今朝もほら…

 

 

「詠人!詠人はどこだ?おい、詠人を見なかったか?」

「詠人様でしたら先ほどお出かけになられましたが」

「またか!いいかげん、跡取りとして自覚してほしいものだ、まったく!」

 

 

(桔梗屋の跡取りか…

長男だからって勝手だよな…

そりゃ幼い頃から見てきたから着物は好きだし、我ながら似合うと思う…

でもだからといって、誰かのために着物を見立てたり、「お似合いですよ」なんて…柄じゃないし…

綾に婿を取らせて、跡を継がせた方がよっぽど…)



この桔梗屋の跡取り息子。見た目も良く、お着物も誰よりも粋に着こなす色男。家業が嫌いなのでも無く、仕事もやれば出来るのですが、とにかく後を継ぐのは嫌なようで、お店を抜け出しては竹林を一人歩いているのでございます。

ほんと、何を考えているのやら…



(ここは落ち着く…)

(あれ?だれかいる?)

竹林の柔らかな光の中に見知らぬ男が立っておりました。

年の頃は詠斗より少し下でしょうか。

透き通るような白い肌を真っ白なシャツに包み、どこか儚げに空を見上げておりました。

目を離したら居なくなりそうで、詠人はじっとその男を見つめておりました。

「見つけた…」

彼の口がそう動いたように見えて、詠人は一瞬目を伏せてしまったのです。顔を上げると

(いない…)

 

 

(『見つけた…』って…俺を?知ってる?いや…でも…

誰だ?あの男…)

店にいても頭に浮かぶのはあの男のことばかり。

「あに様。ねえ、あに様。あに様ったら!さっきから反物を抱えて何してらっしゃるの?」

「えっ?ああ…綾か…」

「どこか具合でも?」

「あっいや…ちょっと出てくる…」

「はぁ?またですか?どちらへ?」

「あっ…うん…」

詠人の足は自然とあの竹林へ向かっておりました。もう一度あの男に会えたら、誰なのか、なぜ自分を知っているのか聞いてみたくなったのでございます。

しかし、会えませんでした。

知っているそぶりをされただけ…それも僕の気のせいかもしれない…

それでも詠人はあの場所に行かずにはいられなかったのでございます。

 

 

幾晩か経ったある日のこと

(いた!)

初めて会った時と同じように儚げに空を見上げる男の姿がそこにありました

声を掛けられぬまま、しばしの時が過ぎ、そっと去っていく男の後ろ姿を見ておりました。

そのようなことが何度続いたでしょうか

「あの…」

その声に振り向いた男は何も言わず、ふわっと笑みを残して歩いていってしまったのです。

「笑った…」

いつもは少し寂しそうに佇んでいる男が一瞬見せた微笑みがなぜか詠人の心を締め付けるのでした

(会いたい…彼と話がしたい…)

 

「あの…君、名前は?」

「…」

「俺は詠人…君の名前、教えてくれない?」

「れい…」

「れい…君、俺のこと知ってるの?君は…誰?」

れいは何も答えず、ただ微笑んでいるだけでした。

風に揺れる竹の葉の音だけが聴こえ、静寂が二人を包んでおりました。

何度か会い、れいの心も徐々にほぐれ、二人並んで座っている…たったそれだけが詠人には心安らぐ幸せな時間になっておりました。

時折、れいが見せる苦しげな表情と小さな咳が気がかりではありましたが…

詠人の膝を枕に横になるれいの身体は熱く、熱があるようでしたが、詠人が髪を撫でてやると、ほぅっと息を吐き、丸く小さくなって寝てしまう…それはまるで猫のようでございました。

「れいは猫みたいだね」

 

 

「ねえ、詠斗の着物綺麗だね…僕も着てみたいな…」

「れいに似合う着物、僕が選んであげようね。浴衣を着て二人でお祭りに行こうか」

「…うん」

 

 

ええっと…あれは鎮守様のお祭りの少し前くらいからですかね?詠人様が見違えるようにお店のお仕事をなさるようになったのは。

いえね、元からお仕事は出来る方だったんですよ。でも度々、お店から居なくなったり、何か考え事をなさってたりしたので…

綾様も驚いておいででしたよ。旦那様はようやく跡取りとしての心が決まったのかとお喜びで。

手が空いた時には殿方の反物やら帯を広げておりましたが、みな若旦那が新しい着物でもお作りになるのかと気にも留めておりませんでしたよ

 

 

「れい、浴衣出来たよ」

「れい、明日はお店においでね。浴衣着せてあげるから」

「お店は嫌…」

「れいは恥ずかしがり屋だね。わかった。裏においで。僕の部屋でならいいだろう?」

「…うん」

あくる日、そっとお店の裏に現れたれいを部屋に通し、浴衣を着せると、透き通るように白くしなやかな体に白地の浴衣はよく似合っておりました。

「れい、よく似合うよ。やっぱり白にして良かった」

れいははにかみながらもとても嬉しそうに浴衣を眺めておりました。

(れい…かわいいよ)

「行こう…」

鎮守様のお祭りは大賑わい。

怯えたように、れいの足が止まってしまいました。

「れい?どうしたの?」

「…」いやいやをするように首を振るれいに

「僕の袖を掴んでおいで。そうしたら離れずにいられるから」

詠人の袖を握ったれいを連れ、境内に入っていったのでございます。

 

 

「おや、若旦那。お祭りにいらっしゃるなんて珍しいですねぇ」

「うん。この子を連れてきたくてね」

 

 

「詠人…あれ欲しい…」

「かざぐるま?れいは子どもみたいだね」

「…だめ?」

「いいよ。れいが欲しいなら」

しばらく二人でお祭りを楽しんでおりましたが、詠人はれいの息が少し上がってきていることに気づき

「そろそろ帰ろうか?」

と声をかけたのでございます。それには答えず、れいは何かを一心に見つめておりました

「どうした?あれが欲しいのかい?」

それは小さな鈴と赤い珠のついた小さな根付でございました。

「詠人と一緒に…」

「ん?僕とお揃いにしたいの?わかったよ」

根付を二つ買い、片方を渡すと、れいは鈴を揺らして微笑んでおりました

「さっ帰ろ。れいの新しいおうちに」

れいの体調がすぐれないことを心配した詠人は自分の目が届くところに小さな家を用意しておりました。

 

 

あの日以来、熱を出すことが多くなり、詠人には隠していましたが咳をすると痰に血が混じることも。れいは床に臥せることが多くなっておりました。

「れい、お医者を呼ぼうか?」

「お医者は嫌い…だからお医者を呼んだら詠人も嫌い…」

「れい…」

 

 

れいの命のろうそくは少しずつ短く、その炎は少しずつ弱くなっていきました。

でも詠人と過ごしている時のれいは幸せそうでございました。

「れい、春になったら桜を見に行こうか」

「…うん」

「約束だよ」

「…うん」

二人の指切りはとても美しくとても悲しい約束の証でございました。

 

 

京に初雪が降った夜、熱の熱い息の下でれいは詠人に話し始めました。

「詠人…幸せ?」

「ん?幸せだよ、れいと一緒にいられたら」

「僕も幸せ…詠人の隣にずっといられたら…でも詠人には僕が居なくなっても幸せでいてほしい…」

「れい?」

「…ねえ、知ってる?猫ってね…」

「ん?れい?寝ちゃったのか…」

少しつらそうに寝息を立てるれいの髪をいつものように優しく撫でてやると、安心したようにれいの寝顔が和らいだのでございます。

(好きだよ…れい)

 

 

「あれ?寝てしまったのか…」

目覚めた詠人が横を見るとそこにれいの姿はありませんでした。あの浴衣と根付も無くなっておりました。




あれはいつだったか…僕がまだ子どもの頃、飼っていた猫がいなくなってしまったんだ…泣きながら父に告げると、父は大きな手で僕の髪をくしゃっとして

「詠人、知ってるか?猫は自分の死期を悟るとどこかへ行ってしまうんだよ。誰にも知られず、この世から消えてしまうんだ」

と教えてくれた…



はい。詠人様は旦那様がお決めになった方と祝言を挙げられましたよ。ええ、跡を継ぐんですよ、もちろん。詠人様のお見立てはお客様にも評判が良くて。桔梗屋はますます繁盛してますよ。でも…なぜだか、詠人様は殿方のお着物の見立てだけはされないんですよ。ご注文があっても「それは綾に…」とだけおっしゃって。その時だけは少し悲しげな顔をなさってますね。

えっ?お店を抜け出したりしないのかって?

それは前の話ですよ。

お散歩されてることはありますけどね。


れい…今年もまた桜が咲いたよ…

れいが望むから、今、僕はれいが居なくても幸せだよ…

(チリン…)

(詠人…好きだよ)


2020年1月入会の寺岡佳代です
たまたま見つけたお着物の男性の写真を見て、「この人、京都の呉服屋の若旦那じゃん」って思ったところから私の妄想の世界が始まりました。

この物語は一見すると男性同士の恋のようですが、そうじゃないのかも?と思ってもらえたら嬉しいです。

もし読んでくれた人の頭に情景が浮かんだらいいなぁって思います

                 






執筆者 | 22/10/02 (日) | コラム


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