人間全て塞翁が馬

執筆者 | 21/04/10 (土) | コラム

人間全て塞翁が馬

こんにちは、武田です。

人間何が幸せにつながるかわからない、、そんなコラムを書いてみます。

1. 人間全て塞翁が馬

中国の故事で、『人間全て塞翁が馬』というものがあります。どういう話かと言いますと、、。(鹿島学園高等学校のページからコピペ)

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。

さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。

ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。

この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、

高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。

ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、

逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。

そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。

近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。

そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。

しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

長い人生では楽しい事や嬉しい事もあれば、辛い事や悲しい事もあるけれども、何が幸福で何が不幸かは直ぐに決まるものではない。

皆さんも嬉しい時には自己を律して、悲しい時には将来必ず幸せが訪れるものと信じて、毎日を明るく元気に過ごして欲しい。

引用終り。

この話が僕は大好きです。

何が幸せで何が成功かは死ぬまでわかりません。死後の世界を信じている人は、死んだあともわかりません。もしかしたら生まれ変わったときの糧になっているかもしれませんからね。

今日は自分に起こった人間、万事塞翁が馬の体験を書いてみようと思います。

2. 受験時代の大アクシデント

センター試験のことでした。受験会場は慶応日吉キャンパス、非常に寒い日でした。

センター試験は国立大学を受験するときに必要で、センター試験の点数が低いと希望する国立大学の二次試験に進めず、合否もセンター試験と二次試験の合計点で決まるという大切なものです。

受験会場で席につくと、席の隣にパネルヒーターがありました。

社会(倫理・政経)⇒国語⇒英語⇒数学⇒理科(物理・化学)みたいな順で受験をしたと思います。

アクシデントは国語を受けていた時に起こりました。パネルヒーターが暑すぎて、頭が朦朧としてきました。『暑いです』と言った時にはすでに手遅れで、体調が悪化していました。そして、とうとう国語の試験のときに熱中症でフラフラになってしまいました。

試験監督に手を挙げて、頭に水をかぶり、とにかく頭を冷やしました。10分くらい休憩して、そして試験に臨むというようなそんな有様で、国語は時間切れで終了。残りの科目も体調不良と精神的動揺で壊滅状態。自己採点すると目標点数よりも70点くらい低いものでした。

『うわっ、東大無理か、、、。』

東大を受けようと勉強していたのですが、この時点東大の合格可能性は低い。しかし、他校の受験対策はしてきていないので切り替えるのも難しい。このまま行くしかない、、不安とストレスのまま二次対策をしていきました。

東大を受ける前に、私立3つを受験します。そこで勢いを付けよう。仕方ない気持ちを切り替えよう。

頭では分かっていても、センター試験のショックが尾を引き、精神的に不安定な状態で私立3校を受験しました。

1校目は受験したときに合格したと思いました。ここは前哨戦だから良い(当時はそう思ってました)。しばらくして合格通知が来ました。その合格通知表は行く気もないし、気合を入れるためにもゴミ箱へポイ。

次の2校は私立の最難関と言われているところだから、ここで勢いに乗せて東大まで持っていこう。そう思っていたら、その2校がメチャクチャ難い。これ、落ちたか、、、。

青ざめる。。。

不安的中、2校とも不合格。

最初の合格通知は捨ててしまった。残るカードは東大。足切りにはならなかったがセンター試験も壊滅している。受からなかったら2浪確定。プレッシャーが増しました。

そして東大を受験、そして不合格。2浪決定。

しかし、自分が捨てた某大学の合格通知表を親はゴミ箱から拾い、保管してくれていました。

2浪するか、あるいは不本意でも受かった大学に行くか。

そのどちらかを選択する必要がありました。

ショックが大きいながらも考えました。

センター試験での出来事はアクシデントだったには違いない。しかし、すべてが外部要因なのか。防ごうと思えばできたはずだ。パネルヒーターが席の隣にあるのは座ったときにわかっていた。暑いこともわかっていた。なぜ、すぐに席を変えてもらわなかったのか。

手を挙げるのが恥ずかしかったのか、乗り切れると思ったのか、いずれにせよ本当に合格したいという熱意が薄かったと言わざるを得ない。この結果は受け入れざるをえない。

結局、滑り止め大学に入学することにしました。

3. 人間全て塞翁が馬(AGAIN)

とは言っても、理屈では受け入れても、心が受け入れていない。東大受験に必要な科目は6科目、私立は3科目。私立を受けるのであれば6科目もやる必要はなかった。現役の時に受ければよかったではないか、、など思いがグルグル巡ります。

うつ状態が続きました。しかもその私立大学は都心ではなく下宿をすることになる。友達とも離れるし、不安でした。一人暮らしはできるだろうか。

大学に入学しても、ほとんど上の空で後悔ばかりが頭をよぎります。3か月くらい続いたと思います。

当時、機械工学科に所属していました。機械が好きだったわけではありません。その大学には行く気がなかったので、適当に選んでいたのです。周りを見ると機械をいじるのが好きで仕方ないという学生がたくさんいる。生き生きしている学生が多いのです。地方な学校なので、良い意味で擦れていない学生が多いことも見えてきました。

もしかしたら、この学校も悪くないんじゃないか、と少しずつ思えるようになりました。

高校時代の友達がいないというのは、寂しい反面、新しい自分を出しやすいメリットもありました。キャラを自由に出しやすいのです。知っている人がいれば、昔はそうじゃなかったよね、と言われるところが、誰も過去の自分を知らなければ先入観なく付き合ってくれます。

1人暮らしも非常に良い経験でした。自分ですべてを決めて生活できるのも本当に良いものでした。一人暮らしで生活できるのかという不安は実際にやってみると全く稀有でした。

高校時代は受験勉強に明け暮れていた分、大学では楽しもうとスキューバダイビングのサークルに入りました(理系の大学だったのですが、スキューバダイビングサークルは、きれいなお姉さんが多かったというのも理由のひとつでした)。

海の世界は本当に魅力的でした。こんな世界があるんだなと感激し、生物の多様性や生態系を支える微生物に興味を覚えました。一方で、自分の専攻している機械工学は特に面白いとは感じませんでした。『メカに弱い機械工学科です。』などと自己紹介して笑いを取っていましたが、さすがにそれはまずいだろう、、とも感じていました。

ではどうしようか、そんなことを考える機会も与えられたのは貴重でした。

こうして、徐々にですが、この大学のことが好きになっていき、最後には、この大学に入ったことが運命だったと確信するに至りました。

神様がいるかどうかはわかりませんが、神様がいるとしたら、自分の希望以上のものを神様は与えたかったのだとそう確信するようになりました。今でも、この大学に入ったことが、今の自分を作り上げていると自身を持って言えます。最高の大学でした。

4. 進路を変える。

 海の生態系に興味を持った自分は、地球環境保全をする仕事をしたいと考えるようになりました。生物が好きだったので、そこで学部4年のときに思い切って、生物化学(微生物工学)に進路を変えようと思いました。さらに、大学院では別のところで学んでみようと考えました。

こうして、3月から大学院入試の8月まで大学院の生物工学に向けた受験勉強をすることにしました。1日20時間くらい勉強していたと思います。やりたいことだったのでそれほど苦には感じませんでした。そして、合格しました。

5. まとめ

もし自分が望む大学に入っていたら、、、。

仮定の話は無意味と言われますが、スキューバダイビングもしていなかったと思うし、その結果、生物工学を学ぼうとは思わなかっただろう。

過去の自分を知らない人に囲まれたことで、好きな自分を発見できた、その機会は得られなかったかもしれない。下宿もしていなかっただろうから、思い切り羽根を伸ばすこともできなかっただろう。人生の岐路がそこにあったと言わざるを得ません。

受験で失敗したと思っていたけど、実は大成功だったのだ。今ではそう思います。

成功か失敗かは死ぬまでわからない。点で捉えるべきではない。この出来事が思わぬ幸せの付箋となっていることもあると思いました。失敗した!と思っていても、長い目で見ると、成功につながっていることもありますので、何かにつながっていると信じて、その過程も楽しんでいきましょう。

写真はエジプトのレッドシーの写真です。澄み切った本当にきれいな場所でした。

執筆者 | 21/04/10 (土) | コラム


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