泥団子の正体 / 久保卓人

執筆者 | 21/04/09 (金) | コラム

僕は、運がいい。

自分にとっての泥団子を持っている。

 

僕の泥団子は、バンド活動。そう思っていた。

PROGRESSでその正体に気づくまでは。

バンド活動という泥団子。

一度は、手放そうとしていた。

2020年。最近のことだ。

 

2016年にCDデビューまでたどり着いたものの、ここ数年は常に右肩下がり。

 

2019年の暮れ、心は限界を迎えて、自分は音楽をやれる人じゃなかったんだろうなと思った。

 

年が明けて、新型コロナウィルスの感染拡大。

ライブハウスが閉鎖。とうとう活動の場所がなくなった。

ただただ過ぎていくだけの日々を過ごしていた2020年上半期。

2020年を折り返すころ、PROGRESSに入会した。

 

ミュージシャンになれなかった僕は、自分が何者になれるのか知りたかったのかもしれない。

 

自分の音楽を求めている人なんているわけがない。

自分が発信側に立つのはやめよう。

他の人の表現活動のお手伝いをしよう。

 そう思って、アリスカーナのプロジェクトの裏方を担当させてもらうことにした。

 

不思議なことに、裏方がとても楽しかった。

自分自身の表現活動を諦めての選択だったはずなのに、ただただ楽しかった。

 

プロジェクトが進んでいくことが楽しかったし、

自分が裏方を担うことで、誰かが表現活動を楽しめていることが嬉しかった。

PROGRESSで気づけたことがある。

僕は、誰かに楽しんでもらうことが好きだ。

 

自分が表に立っていても、立っていなくても。

自分の存在に気付かれていても、気づかれていなくても。

 そこに差はなかった。

花見の場所取りをすることも、

飲み会の幹事をすることも、

プロジェクトの裏方も、

PGメンバーへの楽曲提供も、

バンドマンとしてステージに立つことも、

 

全部同じだった。

目の前の人に「今日楽しかったね」そう思ってほしいというエゴ。

それが僕の泥団子の正体だった。

演者と裏方。

真逆に見える二つのことが、自分の気持ちの正体を教えてくれた。

 

挫折と諦めがなければ気づくことはなかったかもしれない。

PROGRESSのプロジェクトを通した交流がなければ気づくことはなかったかもしれない。

 

つくづく、不思議なものだなと思うし、

気づくことができた僕はほんと運だけはいいなと思う。

この記事を書いた日の2日後の2021年4月11日。

1年半ぶりにライブ活動を再開する。

 再開という言い方は正しくないのかもしれない。

すごろく的にいうならば「振り出しに戻る」の方が近い。 

それでも、スタート地点にもう一度立てたことが何より嬉しい。

 

もう一度、音楽やってもいいんだ。

そう思わせてくれたのはPROGRESSで出会えた仲間たちのお陰。

 

会場に来てくださる方も、オンラインで観覧してくださる方も、全員に楽しんでもらいたい。

 

楽しんでもらいたいという欲望は増すばかりだ。

 

楽しませたいし、

楽しませることを楽しみたい。

PROGRESSで見つけた泥団子の正体。

みんなと楽しめる機会をこれからたくさん作りたい。

中でも、外でも。表からも、裏からも。

僕は本当に運がいい。

ここから続く毎日はきっと楽しい。

久保卓人

執筆者 | 21/04/09 (金) | コラム


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