こんにちは!ノアと申します。
みなさんは「最後の晩餐、これを食べたいなあ」と想像したことありますか?
私はもちろん、あります(^◇^)!!!
そんな誰もが想像したことがある「最後の晩餐」ですが、身内の「最後の晩餐」をきっかけに考えさせられる機会がありその思いを書いてみます。
ウキウキの「最後の晩餐」コラムではないのですが、よかったらお付き合いください!
平成から令和に変わる年
先日義母が他界しました。
くも膜下出血で倒れて以来、二年間、病院で寝たきりが続いていた義母でしたので、意識はなくとも辛かったと思います。
生まれも育ちも江戸っ子の義母は、竹を割ったようなさっぱりした性格でした。とっても愛情深くて、私のことも本当に可愛がってくれました。
2019年、平成から令和に変わったその年は、私にとって家族の転換点でした。
元気だった(に見えていた)父が心筋梗塞で急死。
その半年後に、義母がくも膜下で倒れたからです。
父の最後の晩餐
父は、母と二人暮らしの自宅で倒れ、そのまま亡くなったので、そんな時は、事件性がないか警察が聴取に来ます。
死因を調べてもらうために病院で検死をした後、警察の方と一緒に自宅に帰り、そのまま聴取を受けました。
認知症の母に代わり、私が主に受け答えをしました。
「お父さんは、何時ごろ、どこで眠られました?」
「着ていた服は?」
「お父さんはどんなお薬飲んでいましたか?」
「そのお薬見せてもらえます?」
と質問が続き、
「夜は何を召し上がりました?」
と質問されました。
その頃すでに、母は認知症のため食事が作れなくなっていたので、父は外食か、母の分までお弁当を買ってくる生活をしていました。
母に聞いても、どうやら夕食を一緒に食べてはいないようで、お財布からレシートなどを探し、その日に何を食べたか探りましたが、結局分かりませんでした。
「最後の晩餐、お父さんは一人で、なにを食べたか分からないんだなあ」と思ったら、死んだこと自体よりそのことに、なんだか寂しい気持ちが湧いてきました。
親しい人と最後の晩餐を共にできたら、それは一番幸せだけど、
最後に何を食べたか分かるだけでも幸せなのかもなあ…と。
義母の最後の晩餐
一方、義母は、私が作った夕食が最後の晩餐でした。
当時86歳の義母は、普段はしっかりと義父と自分の食事を用意していましたが、週に一度だけ、私がお食事を差し入れしていたからです。
オーブン焼きハンバーグ
じゃがいものサラダ
白ナスとトマトのあえもの
とうもろこしのスープ
五穀米
が最後のメニューでした。
(こんなにはっきり分かるのは、
私がアプリで食事を記録してるマニアだからです(^^;)
義父と一緒に「美味しい、美味しい」と言って食べてくれたそうですが、その夜に倒れ、寝たきりになりました。
そう聞いた時、お義母さんの最後の食事に責任感を感じたのと同時に、
ちゃんと作った食事を食べてもらえてよかった、
という気持ちになりました。
二人が教えてくれたありがたさ
その二つの体験以来、
食べられなくなる日は突然やってくる、
今日のメニューが最後の晩餐になるかもしれないんだ…
という可能性が常に頭の片隅に残り、
普段の食事を大切に作ろう、という気持ちがより強くなりました。
親しい人と食卓を囲めるって幸せだなあ、という気持ちも強くなりました。
「最後の晩餐にお寿司を食べたい!」とか
「炊き立てのご飯と明太子」とか
最後の晩餐トークをすることがありますが、
思い通りの最後の晩餐がとれるなんて稀中の稀で、本当に贅沢なことなんだと思い知りました。
私の最後の晩餐は何になるのか分かりませんが(笑)、何気ないことの大切さを教えてくれた、大切な体験です。