progressとSLUM DUNK

執筆者 | 22/12/25 (日) | コラム

ふと思い立ち、「SLUM DUNK」を観に行った。

本当は、仕事の疲れで、一日寝て過ごそうと思っていた日曜日だったが、結論、行って良かった。

 

使命感が背中を押した……

わたしは中田さんのHRをでのSLUM DUNKの感想を聞いてから、これは見たいというよりも何故か見ないと行けないものだと感じていた。

そのHRを聞いているときに何かを感じ取ったのかも知れない。

でも、今日映画を見てものすごく納得してしまった。

SLUM DUNKの映画でやっている事は、progressそのものだったからだ。

一番感じたのは、この言葉はだ。

心の炎を燃やしていけば、「人は何者でもなれる、いつからでも」と言う言葉が頭にバッとうかんだ。

なぜ、中田さんが、あんなにSLUM DUNKの映画を語りたかったのか、実際に自分で見てみるとハッキリとわかった。

これは、progressの事だと。

だからこそ、わたしに何か使命感みたいなものを感じさせたのだろう。

 

キャラクターはprogressのみんなだった!

正直、わたしはSLUM DUNKをあまり通らずに生きてしまった方の人間だった。

確かに、話題があってアニメも見ていたはずだけれど、当時のわたしにはあまり響いていなかった。

けれど、人生経験を積んで、このprogressに入学してから、この映画を見た時、印象が全然違っていた。

その映画に出てくるキャラクター、キャラクターそれぞれに、progressのみんなの顏が重なって行く。

その熱量を持っている人、高い技術を持っている人、スピード感が早い人、正解に辿り着くのが早い人、人を束ねるのが上手な人。

いろんな人材がprogressには存在している。

それと同じ様に、SLUM DUNKでも、それぞれのキャラクタが個性を発揮して試合を支配していく。

それも、強豪を相手にだ。

 

宮城リョータという生き方

今までに何も喪失せずに生きてこられた人はいないだろう。

progressをみても、あの中田さんでさえ、何か喪失を感じて生きて来たはずだ。

だからこそ、今回の主人公である宮城リョータに感情移入をしてしまう。

失ったもの、でもそれを補って支えてくれる仲間達。

前を照らしてくれる先生。

母悲しみを感じて傷つきながらも、自分の道を歩いて行く姿にわたしも涙をした。

わたしも母を亡くしている。

それが映画を見ている間、強烈に浮かんできた。

でも、わたしは今幸せだ。

妻もいて、子供たちも元気で楽しそうに過ごしている。

そして、幸いな事にわたしはprogressに入学できた。

こんないい縁があるだろうか。

きっと宮城リョータもそういう感覚があるに違いない。

 

まとめ

中田さん発信で見る気になったSLUM DUNKだったけれど、結論見てよかった。

そして、その後に今日はあっちゃんのHRを見れた。

それが、やっぱりSLUM DUNKとprogressを重ねさせた。

わたしもここで自分の個性を出し動いていく。

そして、何かを成し遂げる人になるのだ。

「人は何者でもなれる、いつからでも」

 


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