「交流」という言葉の重さ

執筆者 | 22/11/28 (月) | コラム

ああ

このコラムは私の弱さを吐露しているコラムです。情けないこと、泣き言なども書いてしまっています。

そういう文章を見たくないという方はそっとページを離れて下さい。

20208月入学、メッチェこと目﨑祐介です。

私は昔から人の輪に入るのが苦手な人間でした。

友達たちが楽しそうに遊んでいても声をかけることも出来ず、優しい人が誘ってくれて輪に入ってもうまく溶け込めませんでした。

必然、家で1人遊びをすることが多い子供でした。

そんな私が唯一、楽しみにしていたのが学芸会でした。

自分の言葉で話すのが苦手な私は、セリフの力を借りると不思議なくらいスラスラと話せるのです。

しかも、普段注目されない地味な子だった私の演技で、みんなが笑ってくれたりしてくれました。

その時だけは、私はみんなと交流していると実感が持てました。

舞台上が私の居場所でした。

そんな私が最初にぶつかった壁が、中学の文化祭でした。

劇をやることになりましたが、配役は生徒たちで決めるシステムです。

選ばれたのは、いわゆるイケてるグループのみ。

私は選択肢にすら入れませんでした。

そんな自分を変えたくて、高校は誰も知らない遠くの私立に行きました。

そこでは、イケてるグループを装い何となく楽しんでいましたが、本物のイケてる人間に劣等感を感じながら過ごしていました。

大学に進み就職活動の時期になっても、私は仕事をする気になれませんでした。

芝居がしたい。

そう思って私は芝居の養成所(厳密には声優養成所だったのですが)に飛び込み日々切磋琢磨しました。

講師も同期も火の玉を持つ人ばかりで本当に充実した3年間でした。

そこを出て私はとても大きな壁にぶつかりました。

舞台に立つためには人と日々の交流を積み重ねなければいけないという現実。

中田さんが日々HRで仰っていることです。

必死にもがき、色々な場所に足を運び、色々な人と交流を重ねました。

しかしその全てが次につながりません。

その時々で横にいた人たちが次々と人脈を作る中、私はいつもひとりぼっちでした。

私は子供の頃から全く変わってませんでした。

そして私は役者を辞めました。

ただ、そんな私が再び役者でいられる場所、それがプログレスです。

色々な舞台に立たせていただき、「メッチェ」の愛称で色んな方に知ってもらえて幸せでした。

でも今また大きな壁にぶつかっています。

これ以上の大きな舞台に立つチャンスが掴めません。

そのための回答は出ています。

「メンバーと交流を広げていくこと」

中田さんからの言葉でも、自分の人生経験からもわかりきった答えです。

じゃあそれが苦手な自分はどうしたらいいのか?

舞台に立つことでしか交流が出来ない不完全な人間には何ができるのか?

人生の節々でいつも私の中に中学の文化祭がフラッシュバックしてきます。

しかし、日々悶々としながらも諦めず前進していこうと足掻いてます。

普通の交流が出来ないのなら、私なりの交流をしていくしかありません。

幸い、こんな私でも応援してくれるメンバーもいます。

その方達におんぶにだっこしながら、私なりの交流を続けていこうと思います。

このコラムを最後まで読んで下さり有難うございました。

こんな不器用なメッチェですが、これからもよろしくお願いします。


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