ギリシア悲劇だとか、シェイクスピアだとかは今回はさておき、近代演劇のしかも20世紀にがっつり入ってからの戯曲数本を紹介します。映画化されている事も条件に加えました。気になったら映画を探して観てください。
その①
マート・クロウリー『真夜中のパーティー』
1968年、オフ・ブロードウェイで初演された作品で、『フレンチコネクション』でアカデミー賞を受賞する以前のウィリアム・フリードキン監督が1970年に映画化している。
(ストーリー)
同性愛者たちが仲間の誕生日パーティーの為に主人公の邸宅に集合しているのだけれども、そこに、主人公の学生時代の友人Aが同性愛者たちが集まっているとは知らずに立ち寄り、やがてその異常性に気づき、抑えきれない偏見を小出しにしてしまう。
気まずい雰囲気が積み重なり、とあるゲームが始まる。「本当に愛する者への告白が出来るのか?」というゲームである。今日集まった同性愛者たちのほとんどが、社会の偏見から身を隠しているので、所謂、カミングアウトをしていないのであった。
やがて、一人の登場人物が意中の相手に電話をかけ愛を告白するも、途中で切られてしまう。
そうこうする内に、主人公は妻もいる友人Aに対し、学生時代の記憶をさかのぼり始める。学生時代のAは同性の学友に恋をしていたはずだ、と詰め寄る。否定するAだが、どうも、本当っぽい。主人公は電話を突き付け、愛を告白してみろと要求する。
(ちゃかしメモ)
これが、劇として抜群に面白いのは、電話をかけるという行為に、むちゃくちゃスリルとサスペンスが生まれるんですよ。はたして、友人Aは電話をかけるのか? 愛を告白するのか? 仮に、告白した場合には、どんな結末が待っているのか?
作者のクロウリーが当時の表現としてはゲイであり、『ウエストサイド物語』などで有名なナタリー・ウッドと知り合い、彼女の同性愛者への理解から、経済的な援助を受けつつ完成させた戯曲で、同性愛者の苦悩と葛藤を描いた初期の作品として名高い。
(時代によっては同性愛は普通だったりするので、苦悩と葛藤において、である)
その②
エドワード・オールビー『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』
1962年ブロードウェイで初演。『卒業』で大ヒットをとばすマイク・ニコルズ監督が1966年に映画化するのだけれども、ニコルズは舞台の演出も担当していた。映画監督としてはじめて100万ドルのギャラが支払われたのがこの時である。
(ストーリー)
年上の妻と参加したパーティーを終えて自宅に戻る学者の夫だが、些細なことから妻と口論になる。そんなところに、後輩研修者夫婦もやってくる。主人公夫婦は後輩夫婦をもてなしながらも、口論のモヤモヤが抜けきってはおらず、お互いに当て擦りをしてしまう。やがて、ヒートアップしていき、妻の父が教授であり、夫が学者として妻に頭があがらない状況などが分かってくる。そして、遂に主人公夫婦を繋ぎとめていた、とある大切なモノが消滅してしまう。
(ちゃかしメモ)
トニー賞受賞の名作だが、いや、本当に、まったくどうしようもない名作。ヴァージニア・ウルフとは英国の作家(素晴らしい作家)の名前です。「とある大切なモノ」がこの夫婦の絶望の深さを表現していて、戦慄を覚えます(とはいえ、おどろおどろしいものではありません)。
その③
ロナルド・ハーウッド『ドレッサー』
1980年に英国で初演。様々なジャンルを手掛けたことで有名なピーター・イェーツ監督で1984年に映画化。
(ストーリー)
第二次世界大戦下のロンドン、とあるシェイクスピア劇団が『リア王』を上演しようとしているのだが、座長がもう大ベテランの老俳優でワンマンのクセに耄碌も出てて、楽屋はてんやわんや。そんな座長をなだめ、すかし、おだて、おどし、あの手この手でコントロールしていく、「ドレッサー」の大活躍を描く。
(ちゃかしメモ)
老俳優と長年一緒にやってきた、ドレッサーの活躍と、その友情というか、愛憎というかを描き出した傑作。最後は「孤独」に終わるのだけれども、この「孤独」が心地良いのだなあ。